失われた思い出のマシン・・・・のいくつかの写真
昔のマシンの画像コーナーが当サイトには何故か無かったので作りました。
手元に有る写真を元に設置しました。大半は数百キロ彼方の実家に有る為、
それはまたいつの日にか加えるとして、手近な所で選んでみました。
HONDA ドリームCB250T 73年式
初めて手にした解体屋スペシャルなCBで、71年式CB250セニアと同時購入しました。
後戻りできないヤバイ趣味の発端でした。セニアのフロント周りを多用してニセCB750
を創作したので本来のCB250Tとは面影がかなり違います。野宿ツーリング先でオイル
上がりで、テント横で腰上分解したり、カムチェーン切れで別所の風呂上り7km押したり
圧雪の保福寺でエンジン亀の子、前後ホイール氷結で人車共にオーバーヒートしたり、
1日1回は必ずエンジンが止まり、道路脇でいつもキャブを分解していて有名になったり、
常に酷い目ばかり見させられ嫌な思い出しかないです。とても良い(のか?)勉強でした。
HONDA ベンリィ XL125 76年式
これは初代XL125です。初め1年位はエルシノアMT125のフェンダーを付けてた以外、
ドノーマルで乗ってました。カラーだけは赤に黄色のウイングマークを入れていました。
XL250R色です。その後、親しいマニアからCL90の外装セットが提供され、これを付け
あっという間にニセSLになってました。本当のSL125とは全然形が違いますが、何度
か「SLか〜、懐かしいなあ」ってなコメントも林道等で頂きました。XLよりはSLに近い
このマシン、一見こんな姿ですが、同年代ツインショックマシンの中でも相当に走破性
が高く、車体や足回りが優れています。低速が薄いですが異様なふけ上がりと、常時
高回転キープが普通に行なえて結構速い。信じられないかもしれないが。友人が持つ
XL125Sとの比較走行しても、ポイント式のこれの方がやっぱり速い。何故なんだね?。
謎です。ツインショックの大会で125を制すにはこれを探してみる事です。私は何故か
使えませんでした。当時、青葉ワークスレーシングチームスローガンとして、「ハスラー
で125クラスを戦う!それが愛だ!」ってのが有りました。ハスラーで出場しなければ
ならない規則だったんですね。我々の結束と意味の解からない変な愛の為でしたね。
HONDA XL250Rパリダカール 83年式
初めて手にしたXLでした。雑誌で見つけたXLXを購入し、納車前にバイク店から連絡
が。「XLXはカムシャフト折れてました、同じ値段でパリダカもあるけどどうします?」と。
マシンはこれになった。そして乗り出し日には「最高の選択、究極のマシンだ!。」等と
仲間に自慢していたのだからのどかな時代である。そして数日経たぬ内に、ニセXLV
化していた。当時、このマシンには源流号という名前が付いていた。三つ道具を積んで
沢と岩壁を求めマシンで繰り出していたのである。バイザーに入っているマークはその
為になされた物。当時、MXグローブの代わりにクライミンググローブを愛用し、現地入り
するやグローブ外さずメットだけ付け替え、そのまま即、登擧する怪しいライダーでした。
XLは燃費がとても良く、サウンドも素晴しい。扱い易さ、走破性は特に優れております。
これでコケながら練習してオフの楽しさを学びました。又、仲間と林道行く際に、灯油用
ポンプを積んで2スト勢のガス欠を助ける事が出来ます。タンカーと呼ばれました・・。
林道仲間がワンゲル関連の山男衆で巨大な登山靴をブーツ代わりに使う者も多くて
異様な林道集団に映ったに違いないです。奮発したバークバスターはマルコムスミス
製で日本に初上陸した物だった気がします。ナックルガードを付けるボルト穴がまだ
無い物でした。エンジンガードは三恵技研のBaja、沼地用スタンドはラフ&ロード製。
そういえば良く立ち寄った上田のサンアイ(カーショップ)でフォグランプとか、方位磁石
とか付けてた頃もあったかな。ジュースホルダーとか妙な物まで付けていた。(笑い)
HONDA XL250R 82年式
これは2台目のXLです。初代パリダカはテネレ入手前に大クラッシュさせてしまいました。
貴重な1台を潰し申し訳ない。失った後、やはりXL250R無しの人生は有り得ないと思い
手に入れました。こちらではニセXRを指向しました。既にこの時にはXLVも在りましたし。
ライトはXR200R用、メーターはレース用に保安部品外し中のKL250用を移植しました。
普通、XR仕様はタコメーター付けませんがこの例では付けてます。三恵技研のエンジン
ガードは初代に付けてたその物です。これで林道や雪道をおおいに楽しんでました。
HONDA TLR200 83年式
トライアルファンな師匠にエンデューロやる人もトライアルをやらなければいけないなと
言われ薦められてる矢先に私の働いてた解体屋の常連さんよりTLR200いらないかい
との提案があり、即答で話に飛びついた結果手に入りました。これで師匠に教わりつつ
大いに遊びました。師匠はずっと重いRTL250に乗ってました。私はとりあえず初心者の
うちはこれで学ぶのだと確信してました。只、TLRを入手したら間もなく、「杉ちゃん!、
トライアルはやっぱ2ストだよ!、2ストでないと駄目だよっ!」と盛んに言われ出して、
そうだったのか!と思うのにたった数日だった。当時の私は極めて単純な思考だった。
YAMAHA XT600Zテネレ 83年式
これは国内1000台の限定車で、30リッタータンクや車載工具を仕込んだリヤキャリア、
シリンダーの側面に付いたオイルクーラー、強靭な足回りを持つ。一人乗り仕様なので
最初からタンデム装備は無い。XLVを買おうと松本のバイク屋を訪れたらそこにあった。
ケッチンは無いがキックは割りと重い。2000〜3000回転で巡航速度に達し、そこそこの
ペースからでも豪快にウイリー出来るトルクには感動が有りました。しかも30リッターも
あるタンクなのに股が開く事も無くパリダカよりハンドル位置も近い為、通常タンク近い
走行感が有り、何から何まで良く出来ていた。だから・・・・、やがてMXコース通いに使う
ようになってもしまった。まあ、初めはロングツーリングに使い・・段々林道へ・・・そして、
雪道アタックへ・・・・気が付くとコースへ・・・。そういう良くある・・、かもしれない成り行き
だった。強大なトルクで瞬発力がありドドドドドグワァ〜〜ンと実に高々と良く飛びます。
「タンクが大きく見えても燃料を10リッターに抑えておけば、それはTT600なのだ!」等
と意味不明な事を当時、力説してたようです。TT600の使用法自体が正しく認識できて
無かったようでした。連日コースでタイムを競ってました矢先。ついにモノクロスサスの
リンク付け根が大破し、其れを期にコース使用禁止にしました。塗装は私が変更した為
こういう色になっているだけで本来は白車体に赤のストロボです。後に、再塗装した際、
XLVのライトを移植し赤いマシンになりましたが、メーカーが解からない謎の雰囲気に
なってしまいました。KL600R入手後しばらくして車検付3台の維持が困難で人手に渡り
ました。テネレとKL600Rは検切れでも残しておけば良かったな。う〜ん、勿体無い・・・。
ちなみにこのテネレも乗り出した頃はパリダカにつけていた装備(やっぱしフォグランプ
とか)もしっかり移植され、更にエスカレートしてタンクバッグに12Vで70年台初期の物と
思われるカーステレオ、バイク用シガーライターが組み込まれてしまうに至った、怪しさ
大爆発であった。当時、ツーリングと言えば必ず赤木敬一郎のヒット曲をテーマソングに
行い、人がいても交差点で平気で歌い、いつも海の船乗りに憧れ気取ってた気がする。
殆ど山の中ばかり走ってるのにね。又、バイク用シガーライターでつけた煙草は風圧で
口の中に入り、1回試しただけで即廃止。20年前、のどかで良く解からん時代だった。
SUZUKI TS125ハスラー 73年式
当時、これは私の働いていた解体屋では1台5000円という相場でした。エンジンだけの
金額でしか輸出価値が無かったからエンジン落としでした。今では考えられませんね。
そんな訳で私はハスラー好きなので公道用TS125を2台、TS125Tを1台、部品取り用
ストックも5台位有りました。この5000円のTS125は何十万出して買った他のトレール
より豪華な舞台で戦えたんだから不思議なものです。近場のエンデューロレース参戦
で雑誌記者を見た事は殆ど無かったけど、ハスラーで出た頃、アサマツインショックは、
雑誌取材が無い事が稀だった。レース後に雑誌を買って映ってるかな〜って楽しみも
あって2度おいしい。そんな意味で凄く中身の濃い奴でした。マシンは価格じゃない?。
この73年型は非常にローギヤードで特に低速はクロスしてるんじゃないかと錯覚する
程でした。スピードの乗りは鈍いものの粘り強いトルク感があり、熱ダレは早かったが
タフでした。(これに慣れた後に乗るとKSやKEのパワーは異常でしたが)タンク前面の
形状が異様に美しく、良い形だなあとうっとりする事が有り、林道行っては眺めました。
左はレース重視に21インチに改造したハスラー1号、右は見た目と旋回性重視のドノーマル、ハスラー2号
SUZUKI TS250ハスラー 75年式
73年式ハスラーを探している際、解体屋で1台見つけんですが、既に売れていました。
そこにもう1台有ったのがこれでした。欠品が多く、とりあえず当時、大量ストックしてた
125パーツで強引に形にして乗リました。フェンダーやテールランプが異様な感じです。
フラッシャーは前側がカワサキ、後側がTS125用、もうむちゃくちゃです。フェンダーの
短さが本来のバランスをたがえているような気も・・・。いいか、走れたし、昔の事だし。
私は750サイズの巨大ライトが付くデザインがこの上なく気に入っていました。
SUZUKI TS400ハスラー 73年式
当時、車検がそれは高かった、そして私も貧乏だった。その割りにこういうマシンが手に
入る役得な仕事してた訳でもあるが、何れにせよ既に旧き良き時代という事になります。
一瞬の判断が後に影響しますね。手放したマシンは大きい。結局、また同じ物を探して
買う事になるようです。私もこのカラーで250のTSををいずれ持つと思います。集大成に。
TS400は独特でした。スルスルと加速し、減速時の不正規爆発もそれ相応で、いかにも
と言った感が有りました。白煙も凄かった。125に似てますがマフラーはラバーマウント
されているので振動してました。マシンに威圧された唯一の経験がアイドリングしている
TS400でした。初めてエンジンかけた時、少し怖そうでした。乗ると楽しいんだけど。
KAWASAKI KE125 & KS125
KE125は再塗装物でそのまま乗ってたので年式不明でしたね。林道、雪道、廃道探索
等でかなり使ってました。第1回アサマツインショックで死にましたが、後に一度蘇生し、
またもや冬季美ヶ原雪道アタックに連日投入されました。KS125は73年式125TRです。
タンク上面の盛り上がり、チャンバーが短くエンドパイプが長い事等で判別出来ます。
これはツインショックに2回使用し、松戸のレース仲間に渡り、それが業者を経由した後
京都に流れて、そこから信州丸子にある知り合いのバイクやに流れ着き、私の友人の
弟殿がそれを買い再び、東京に。その時にまだ57番の77年式KX用ゼッケンプレートは
付いていたらしく、直ぐ「間違いなくアレだ!」と断言したそうです。世の中面白いです。
ちなみに今はまた、そこから流れて久しいようです。まあ、日本のどこかでは動いている
と思います。今度は良き人にめぐり合って大切にレストア所有されているのだろうか?。
それとも、まだゼッケンつけて白煙噴いているのか?。KS君、未来永劫頑張れ!。
KE125 ポンコツの意味で仲間内ではコツイー125と呼ばれてしまっていた。右がKS125、ポンコツでもない
訳だが永年使われた伝統?で、やはり、コツエスと呼ばれだした。釈然とはしないが・・。まさに不遇なり!。
KAWASAKI KMX125 86年式
発売予告を見て瞬時に「これだ!」という事になり、新車で購入しました。長野県上田市
で第1号のKMXという事でした。林道やら雪道やら野宿ツーリングやらコースやら色んな
用途で活躍しました。富山の岩瀬浜で一度、海没しました。最終的に空冷KDXライト仕様
のニセKDXスタイルになってました。
KAWASAKI KL600R 84年式
国内200台の限定車です。この1型ではセルは付いてませんがデコンプ機構が凝っていて
ケッチンは皆無でした。でも、踏み抜いた位置でキックがステップに直撃するので。自身の
キック力が自分の土踏まずを襲い、そこが非常に痛い特徴が有りました。う〜ん懐かしい。
出だしのトルク感がテネレ程には有りませんが中速から上ではテネレよりも実に伸びます。
水冷DOHC4バルブエンジンは快適でした。タコメーターが電気式でラジェーターには冷却
ファン付でした。F・フォークはインナーチューブが段付になってましてフルストローク状態
ではコーナー突っ込みでヨレが有り、旋回性も鈍い感が有り、一段突き出すと具合が良い
感じでした。キャブの脱着はやりにくく、インシュレーターに熱湯をかけてから外してました。
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